青ざめた心で赤い恥を受け取れなくなったのは、いつからだろう。正面を避けるように身体を捻り、路地裏に自らの立ち位置を確立した、あのわざとらしい安寧を、逃亡だと見做さ無くなったのは、芸術だと認め諦めたのは、随分と前のことだった気がする。少なくとも、それが普通のことであるとーーーーーつまり芸術とは繊細であり、繊細とは世間からの逸脱でありーーー逸脱とは光悦の孤独であることーーーーが僕の心に浸透するまでには、それなりに猶予と留意が残っていた。そして、僕は気が付かないうちに決断をしたらしい。世間とは馴染めない。僕は恵まれていない。何もかもを壊そう。抽象の世界に身を置くことに、僕は一つとも逃げの姿勢を覚えることが出来なかった。それは多くの芸術家が、そのようにして逃げ、そして偉大になったと歴史が祭り立てるせいなのだろうと、僕は今更になって気がつくらしい。
情けない。結局、僕は歴史の世俗に逃げている。ませた矜持に小さなくなった自我。僕は他人ばかりを気にしている。僕は僕が気にする他人ばかりで、他人が気にする僕を僕は知らない。だから、こうも情けない。挫けやすい。認めることの風貌を僕は知らない。潔ぎが良いことの端正から目を外している。僕は僕の自画像に留まっている。そして、そこがいつまでもの天井だと思い込んでいる。
そうして、天井は翻る。井戸だ。井戸の底は深い。僕は沈んでいく。ゆったりと。ゆっくりと。こうも惨めでこそ、未だ這いあがろうとしない。僕はまだ格好をつけている。体裁の整った井戸からの抜け出し方を探っている。僕は僕の殻のひびを恐れている。仮初の温もりを失うことを怖がっている。
だから、今。僕は氷河を知る。それはとても長く深い氷河だ。今日を眠る。明日はやってくる。目の前には、もはや氷河しかない。もはや、僕は地を舐め、過去の壮大を溶かすしかない。
