少し疲れた。

別に生きている意味とか、死んでいく将来とか、淡麗じゃない憐れみの容姿だとか、そういうありきたりな階級の低層にいることを自らが自らの内に自覚することで、人生における怠惰を肯定しようとしているわけではない。

ただ少し疲れたのだ。その理由を分解するなら、例えば、日当たりの煩い窓辺だとか、辺りを選んで赤くなる頬のしおらしさとか、擦れた亀頭を撫でる把握された余裕の誇示だとか、その辺の些細な羅列になるのだろうけれど。理由と理由と理由とを合算した結果が必ずしも現状を完璧に考慮する感情と一致しているわけではないのが、人間的不合理性で、またある人にとっては、恋人の意地らしさであったりする。そうして論理と直感の隙間にふっと吹きつける隙間風は北風であると相場が決まり、あるいは僕は疲れているのかもしれない。いやそうじゃない。のかもしれない。ただ、僕は風という風にあらゆるものを吹き飛ばされていたいのかもしれない。

少し疲れた。おやすみ。

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